2018-06-10に思うこと。
ひとつ増やすと、ひとつ減り。
恋人ができ、ふたり分のご飯を毎日作るようになると、読書感想文を書かなくなった。
そんな最近。
ただ、ここに書くことはわたしにとっての整理整頓で気分のよいことだったので、心の片隅にはずーっとあって。
梅雨入りし、お出かけもする気分じゃなく、恋人は部屋で植物の植え替えをしているので書いてみることにした。
ひさしぶり。
ほんと数分前にこの記事を読んでいて、自分のことを言語化できることの大切さ、
そして、この言葉に感銘を受けたのも理由かな。
「やったことのない道を選んでみます。」
選択肢を持っているのは、いつだって、他人じゃなくて自分自信だ。
そんな、子供のころは希望のように思っていた事実。
過去には戻れないとわかりつつ、もし戻れるのならしたいことがある。
それは、もし自分に子供ができたら、勧めたいことだ。
ひとつめは、高校生のうちからアルバイトなりをして自分と違う環境で育った人や年上のひとと出会うこと。
ふたつめは、親元を離れて関東の大学に進学すること。
勧めたいけれど、それを叶える前提は、「勧められたから」ではなく「自分がそうしたいから」。
実際にそうしていたら、今の人生がどうなっていたかは分からないし、きっとまた違うことを勧めたくなっているのかもしれない。
高校生の時は、アルバイトを反対され、関東への進学も反対され、なんとなく自分が入れる大学を選んだから、今、東京で働いているのかもしれない。
あのころは、なぜか親の意見が絶対で、「反対されたら、どうしようもない」そう思い込んでいた。プレゼンできる自分がいなかった。
まりぶ「どうやって大学選んだの?」
坂間「入れそうなとこ。」
まりぶ「うん?会社は?」
坂間「内定もらえそうなとこ。」
まりぶ「すげえな!すげえな!入れそうな大学入って、入れそうな会社入って、辞めずに続いてんだよ。スゴくね?ごめんな!気分悪くしたんなら謝る、ごめん!マジで感心してんだよ!
だってさ、ゲームで言ったら、レベルアップしないで、何回も何回も同じこと繰り返してるわけじゃん。余裕でクリアできるステージを。
無理だわー、無いわー、その才能。」
「ゆとりですがなにか」の名言。
これを見たときが丁度プロジェクトの切れ目で、「次はどんなプロジェクトに参加したいのかなー」なんて考えていたときだった。
「今の自分のままで、役に立てるところがいいな」って「余裕でクリアできるステージ」ばかり目にいっていたんですよね。そこで、はっとした。
ああ、あの頃の自分と同じだ、と。
入れる大学を選んだ自分のまま何も変わってなかった。
選ばせて貰えるだけ幸せで、与えられた仕事を必死に頑張っていたから成功したなんて話も聞くけど、その人はそうで、常にわたしはわたしでしかない。わたし以外にはなれない。
このタイミングで「役に立てる」+「ちょっとだけ背伸びした選択」の間で受けてみてもいいかな。もちろんレベルあげして「クリアする」つもりで。
なんだか急にそう思えた。
そして、その環境に置かれたら、なんだかんだやれるちゃうものなんだよね。
少し背伸びした環境だけど、大切にしている・忘れないでいたいのは「正直でいること」。
うそはつかない。見栄ははらない。自分の頭と心の距離を近く。わからないこと・できないことは、すぐに調べて理解する・できるようになる努力をする。(これは職業的にそうできやすいっていうのもあるけど。エンジニアは調べて勉強さえすればカバーできる点が多くある。)
なんだか、今そう思えていてよかったな、と思うので書いています。
自分の頭の中で整理できなきゃ養分にできない気がしているんですよね。
iPhoneでいう64GBと256GBだったら、間違いなくわたしは前者で。たまに自分から出してバックアップ取っていかないと動きが重くなる、みたいな。
ちょっと未来のわたしのために。
たまに読み返して、ここでこんなバックアップ取っていたんだなって思い出すために。
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他、つれづれなるままに。
1年前は、「ひとり楽しーい!」「恋人がいる日々なんて想像できない!」なんて思っていたのに、恋人がいる日々もたのしいものよ。
違う人間がふたりいると、観点が倍になる。
恋人は、ザ・理系で合理的(っていうと、人を型に当てはめるのはどうかとか言われそう)。感情論はまったく役に立たなく、腹が立つときもある。
たまに思い出したように節目で買ってきてくれるお花とか、どちらかといえば無口なのに伝えてくれた言葉だとか、毎週末一緒に出かけた思い出だとか、まだ半年くらいのものだけど、うれしいこと・楽しいこともそれ以上にある。
またちょっと変えたい未来の話をすると、
仕事から帰宅して、ふたり分のごはんを作り終えると1日に満足しちゃうこと。
恋人から「おいしい」って聞けたら、「1日やりきったー!」ってなるんだよね。
変化になれたら、またちょっとずつ自分に課金(お金じゃなく知識や技術的な面で)していかなきゃ。
容量が少ないから、一度でガラッと変われない分少しずつUPDATEを繰り返していきたいな。ふたりで過ごしていく日々にも、それは大切なことな気がしている。お互いに。
やったことのない道を選んでみても、応援してくれそうだし。
「一緒にいたいから、一緒にいる」
シンプルだけど、そうでありたいな、と。
さ、ごはんつくろっと。
『盲目的な恋と友情』辻村深月(新潮社)
気付いたら3月も中旬でした。
なかなかひとりの時間って作れないんだけど、ご結婚されている方とかパートナーと一緒に住んでいる方って皆さんどうされているんでしょう。
誰かと過ごしているだけで、時間ってあっという間に過ぎますね?
仕事して、帰宅して、ご飯食べて、話したり、映画観たり。
楽しいんだけどね。
だけど、自分とふたりきりで(ひとりきり、か。)こうやって過ごせる時間の貴重さを思う最近です。
「盲目的な恋と友情」
盲目的
[形動]愛情や情熱・衝動などによって、理性的な判断ができないさま。
あるよねえ。なんなのだろうね。
ホルモンバランスとかで片付けられるんだろうか。
白状しますと、つい最近、たった1日恋人と顔を合わせれなかっただけで「さみしい!!!!!」となった日がありまして。
冷静になってみると、自分自身に、なぜ?はて?だし、正直、全然寂しがる理由がなかったし(たった1日だよ)、その夜、話し合ったときにはケロッとしていて、ごめん!って感じだったのだけど(迷惑)、その数日後にレディースデーに突入致しまして・・・・
もしや、あれってPMSだったのでは・・・・
というこわい話。
いや、こわくはないですね。
わたしも、生き物だな〜と。なんだかすごく動物的だなって思ったの。
メンタル安定している気でいたけど、ちょこっとホルモンバランスくずすとそんなことも起こるんだな〜と。
来月もそうなったら、ほら、やっぱりね!と面白がりたい。
「私にもみんなにも反対されているのに茂美さんに執着してるのは、蘭花ちゃんが優しいからでも、茂美さんにいいようにされているからでもないよ。蘭花ちゃん自身の欲のせいだよ。好きだから言うけど、『好き』って気持ちはそんな、何もかもより一番偉いの?それは、蘭花ちゃん自身の快楽と欲だよ。それが周りを苦しめてるんだよ。わかるよね?」
一ノ瀬蘭花とその恋人・茂美星近の恋と転落と衝撃的な終焉を、蘭花と友人・留利絵目線で描かれた話。
恋って、相手に溺れること、だけじゃなくって、自分自身に酔っている状態なんじゃないかなあ、なんて。
何人と付き合ったか、が話題になることはあっても、何人の友達がいるか、そのうちの何人から真に心を開かれ、わかり合えているかが語られることはない。
恋はいつ終わるとも知れない軽いものなのに、長く、ずっとつづく友情の方は、話題になることが、ない。
『自分への取材が人生を変える』はあちゅう(ピースオブケイク)
スマートフォンサイズのかわいらしい文庫本。スマート新書。
ついつい見た目の可愛さ&ワンコインという価格からシリーズ4冊全て手に取ってしまいましたよ。ほくほく。
正直まだKindleより紙の本が好きだなあって思っていたんだけど、読みにくさなんて感じなかったし、むしろ、さっとコートのポケットに携帯電話と入るこのジャストサイズっていいなあと思えたので、使わず嫌いなんだろうなあ。
思い込みとか自分の思考の癖とかたまには変えてかなきゃ新しい風が吹きませんよね。
*
毎日24時間常に一緒にいるはずの自分。
なのに、なんだかたまにわからなくなる自分。
夢をかなえている人たちは、例えるなら「自分への取材」がきっちりとできているのです。自分に取材ができている人は、自分を客観的に把握できているからこそ、他人に自分の言葉で語ることができるのです。つまり、夢を叶えている人とそうでない人の違いは「自分への取材量」の差ではないかと思います。
自分を知るということは、これまで自分が何をしてきたのか、現時点ではどうなのか、これから何をしたいか、そのために何をすべきかがわかっていることです。
・「自分への取材」の習慣化
・日々の夢を叶えるためのSNSの使い方
・スケジュールの管理方法
などなど、今すぐに取り入れたい自分を知るための「取材方法」に満ちた本でした。
無意識に夢をかなえる人になるためには「フットワークを軽くする」ことが何より大切です。会いたい人には今日会う。食べたいものは今日食べる。そんな風に、「いつか」ではなく「今」実現させることを意識するのです。いつかこうしよう、と夢を先送りすればするほど、夢は叶いづらくなるだけではなく、どんどん忘れてしまいます。
これを見て、最近年上の友人(男性)と「鉄は熱いうちに打て!」という話をしたのを思い出した。恋愛の話なんですけどね。
彼はいつも彼氏がいる娘ばかり好きになる性癖(と、わたしは呼んでいる)の持ち主なんですよ。
そんな不毛なこと!と思う方もいるかもしれないけど、相手の娘は娘でふたりで飲みに一緒に行ったりなんなら添い寝レベルのことまでしたりするのだよね。
ただ、結局、本命の彼氏とは別れずそんなチャンスは2度と来ず日々は淡々とつづく。
どうしたものかとその思わせぶりな女性目線になって必死に考えたときに、やはり「タイミングを逃した」のではないかと。
たぶん「その時」添い寝するくらいには好意があったんだろうけど、鉄が熱いうちに叩いてもらわにゃそりゃ人間自分の慣れ親しんでいるしあわせ(安定)を選ぶと思うんだよね。
って話の流れから「鉄は熱いうちに打て!」をその日の教訓にしたわけです。
大体、一瞬の過ちって日が経つにつれ後悔しか呼ばなかったりするもんね。
あ、だからなおさら、フットワーク軽く「今」を実現させたほうがいいのですね。
なんだかポジティブ変換できた!(この本の教訓ではない気がしますが!)
ていうか、彼、やれたかも委員会応募してもらえないものかな。よいエピソード持ってそうだな。提案してみようかな。それか、漫画をプレゼントしてみようかな。