『わたしのはたらき』西村佳哲(弘文堂)
「かかわり方のまなび方」を読んだ後、進めてくれたおねえさんに感想と共にご報告したら、「ごめん!わたし読んだの、それじゃなくてこっちだ!」と教えて頂いた「わたしのはたらき」。笑。(すごくそのおねえさんぽい。)
他の本もぜひ読んでみたいと思っていたから、ラッキー⭐︎!とばかりに早速読みました。はあ、面白かった。「面白い」なんて感想、陳腐だなあ。「かかわり方のまなび方」同様、「読んで良かった!」と心から思えた本でした。
- 作者: 西村佳哲,nakaban,with 奈良県立図書情報館
- 出版社/メーカー: 弘文堂
- 発売日: 2011/11/30
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
- クリック: 3回
- この商品を含むブログ (5件) を見る
奈良の図書館で行われた3日間のフォーラムから生まれた本。
こちらも、インタビューが中心です。
最近は、この感想文のために、気になったシーンやセリフにはドックイヤーをつけるようにしているのですが、もう、2ページに1度くらいのペースでつけてしまい、心なしか本が分厚くなってしまいました。
ひとつひとつ振り返りたいくらいの気持ちなんですが、それはわたしが何回でも読み返せばいいことだから、9名の方のインタビューの中で、それぞれいちばん心に残ったものだけあげていきます。
人を癒すなんてできないと思う。癒すんでなくて、わたしの生活がその人にどう映るか。自分の行動にその人がなにを感じるか。「言葉を超えた行動が魂に響く」という言葉を、わたしは使っている。
ーー佐藤初女さん「人を癒すとは、どういうことでしょうか?」との質問に。
要りません。心配ないんですよ。お金は無ければ使わなければいい。僕はなにかをするために「お金が必要だ」と考えたことは、これっぽっちもないです。牧場をつくった時も自然学校をつくった時も、お金なんかかけないでつくった。
お金をかけずにどうしてできたかというと、自分という労働力があったからです。自分が動けばなにかができるんです。自分にはお金はかからない。食い物さえあれば。
ーー広瀬敏通さん「なにかを始める時には必ずお金が要る、という頭があるけど。」という問いに。
零塾では、会った人の話を 徹底的にきくんです。なにをしたいの?なんでしたいと思ったの?なんで「したい」と思ったことを仕事にしないの?なんで調べないの?なんで図書館に行かないの?
人はやらないんですよね。僕びっくりしているんですけど。でもやりたいことがあると感じているのなら、自分のポジションに立って、自分自身の言葉で話すことだと思うんですよ。なにかが実現する時って、絶対に一人ではない。必要な誰かと会うことによって、ほぼそれで実現すると思うんです。
だからハードルはまったく気にせずに、自分がいちばん会いたい人を一人だけ、何年かかってもいいから探し出すといい。
ーー坂口恭平さん「零塾という私塾をつくった」というお話のなかで。
小泉義之さんという哲学者の『弔いの哲学』という本に、「生きることはいいことだ。これは戒律である」と書いてあったんです。
どんな体であろうと、生きていることは快であり善であると。戒律というのは倫理でも哲学でもなく、人間としてのルールですよと。
「『生きるのはいいこと』。はいもうおしまい。それ以上考えなくてよろしい」と言われた。それがストンと入ってきて、「そっかー。じゃあ、いいんだ。偉い人が言ってるんだし」、みたいな(笑)
ーー川口有美子さん。母がALSを発病した際に。
生命力のようなことだけをやっているのかな。そこで死ぬわけにはいかないし、ポシャらないために乗り越えることをやってきたら、いまになっちゃって。イエスマンだからなんでも受けちゃうんです。あまり断ったことがない。どれも生きてゆく修行に思えて。訓練や稽古をしているわけじゃないんですけど、なにもしないところからも・・・これ言いたくないんですけど、センスを磨いている。こう言ってしまうと下手なことできないな。「普段から正しい姿勢で歩いてみたい」、ということぐらいかしら。
ーー鈴木昭男さん「自分をどうみせるか?」という問いに。
”自分”っていう人はある意味、家族だから。たとえ一人暮らしでも、その人をもてなしたり、休ませてやったり、頑張れよってすることがありますよね。機嫌損ねちゃまずい。
ーー山本ふみこさん「主婦って仕事だよね」とのお話のなかで。
人って任されたら一生懸命やるじゃない?「これとこれとこれをしなさい」と仕切られたら、それだけで終わった気になっちゃうけど、任されたら全部やるでしょ。自分がいちばんいいと思う方法で。人ってそういうのには「応えたい」と思うんじゃない?
ーー中村好文さん「事務所のスタッフの人たちをどんなふうに捉えていますか?」との問いに。
僕はすごく不器用で。パリのアルバイトの時も覚えが悪くて、本当にお直し一つまともにできなかったんです。
でもその時に、不器用だと飽きずにその仕事ができるんじゃないかなという思いに至って。できる感覚がすぐ芽生えてしまわないことで、逆に一生できるかもしれないと。それで、「この仕事に決めた!」と思ってしまったんです。
ーー皆川明さん。自分の仕事を遡って話していた際に。
美大生の卒業制作をずっと見てきて、集大成としていい作品をつくる人がどんな人かというと単に作業量が多い人です。これは100%そう。そういうものとしか思えない。感性の良し悪しじゃあない。感性は本人に具わっているものを指すのなら、「いっぱい作業できる性格」という方が近いんじゃないか。
価値観でやろうとする人は、たいていダメ。それは本人が昔から好きだった食べ物の味に固執してしまうようなもんです。世の中にはいっぱい味があって、それをちゃんと受け入れて経験しないと作品にならないじゃんっていう。
ーー伊藤ガビンさん。「人の資質はあらかじめ決まっているのか」との問お話のなかで。
読み返しながら、いちばんをあげるのが大変だった。ほんと、じんとくるお話だらけでした。
わたしが思うみなさんの共通点は、自らの手を動かし続けていること。他人に自分の意思決定を委ねていないこと。でも、「ああなりたい」「ああいうふうにしたい」「ああするべき」「こうしなければいけない」というお話はひとつもなかったこと。
会社に属していたら、そのつもりはなくても、会社が作った「係」のひとつになって、そのルールのもと働く。そして、ルールのもとには明確な「よい/わるい」があるように思います。そうしなきゃ、大人数が属する「会社」が回っていかない。ただ、そこには自分の意志があるのか。自分の意思で、手を動かせているのか。今後、動かし続けられるのか。うーむ。
「未成年の状態とは、他人の指示をあおがなければ、自分の理性を使うことができないということである。」
この文章に少しドキッとします。とくに「未成年」という言葉に。それは自分に「その部分がありはしないか?」というのが一つ。あと、「人を未成年の状態に留めておくような仕事を、自分はしてはいないだろうか?」と。
ーー西村佳哲さん。あとがきのなかで。
ああ、胸がじんじんと熱い。カントも読んでみよう。