『舞台』西加奈子(講談社)
俺は、自分自身に対して、演技をしている。自分を欺く者に、本当の姿などない。そのことだって、分かっていたはずだ。でも、やはり苦しいのは、そんな自分をどうしようもなく嫌だと思うからだ。俺は一生、この苦しみと付き合わなければいけない。自分を欺き、演じて、そのことに嫌悪し、だが決してやめられない。
俺はそうやって、一生、苦しんでゆくのだ。
29歳のこじらせ系男子「葉太」は小説家の父の遺産を使って、ニューヨークに観光に来た。
1日目にして全財産が入ったバックを盗難されてしまうが、自意識過剰すぎるために犯人を追いかけることもせず警察にも届けない。
正直、前半は葉太をみてて いらいらした。
そこまでして「守りたい自分」ってなに?と。
めんどうくさいな!と。はよ領事館に行きなさいよ、と。
そんな彼が 全財産を失ってニューヨークを彷徨い 精神を揺るがせながら必死に自分と向き合う様は考えさせられる。
西加奈子さんが巻末の対談でおっしゃっていたことが救いだし、答えじゃないのかな。
何かが助けてくれるわけじゃなくて、自分の気持ち次第で最初に食べたごはんも美味しくなる。
誰に言われたわけじゃなく、自分の気持ちで景色が変わるということを、いろいろな小説で書きたいと思っていて『舞台』ではとくにそれが書きたかった。
「つまんない」ばっか言ってた
つまんなさ世界のせいにしてばっかいた
高校生の時に衝撃をうけた加藤千恵さんのかんたん短歌をふと思い出した。
(当時は理解していなかったけどほぼ日に掲載されていたのですね。)
いつだって、人生はひとりひとりの「舞台」。
そしてきっと自分の気持ち次第で景色が変わる。
このことを忘れないでいたいな。
『たった、それだけ』宮下奈都(双葉社)
「かまわないじゃないか。逃げているように見えても、地球は丸いんだ。反対側から見たら追いかけてるのかもしれねーし。」
すべて希望にみえる、いろいろなかたちの「逃げる」話。
贈賄の疑いがかけられた「望月正幸」が失踪した。
愛人、妻、姉、娘、、、、
それぞれの視点で語られる「正幸」とそれぞれの「こころ」、そして、「逃げ」と「変化」
「ルイはルイだ。」
俺が断言すると、ルイは泣きながらもこくりとうなずいた。俺は自分に言い聞かせているのだ。博打に入れ上げ、多額の借金を残してさっさと自殺してしまった実の父親の呪縛から、逃れようとしている。
いや、逃げるのとは違うのかもしれない。逃げても追いかけてくる。逃げても逃げても安心できない。立ち止まって、振り返って、追いかけてくる不安に面と向かって、俺は俺だと言う。たぶん、それが必要だった。
俺は俺だ。たった、それだけ。その簡単な言葉が言えなかった。空を仰ぎ、灰色の雲が垂れ込めているのが見る。俺は、俺。笑ってしまいそうだ。俺はずっと俺だったのに。
「お母さんやお父さんが悪いとしたら、私は、ずっと、わ、悪いままで」
そう言って泣き出す「望月正幸」の娘「ルイ」に対しての須藤先生のセリフ。
「俺は俺」
とてもシンプルなんだけど、「家族」って良くも悪くも一生逃れることができないものですよね。
親や家族にコンプレックスって、ある人とない人がいるのでしょうか。
わたしは、あるほうで。(ルイや先生のような感じではないし、仲も悪いわけではないし、育ててもらってそんなこと思うのは贅沢なことなのかもしれませんが。)
今までもこれからも、ずっと、「娘」
だけど、「わたしはわたし」
このことを心の片隅に置いておきたいシーンでした。
逃げたのだとしても、それでよかったのだ。逃げた先でいつかもっといいものに出会えるかもしれない。それを誰にも否定することはできない。あきらめてもいい。むしろ勇気の要ることだと思う。いくらでもあきらめて、また始めればよかったのだ。
逃げたことが、もしくは、逃げようとしたことがある人に捧げたい金言。
この一節が響いたひとには、この曲も一緒に捧げたい。
「早く着くことが全てと僕には思えなかった」
「数え切れないほどなくしてまた拾いあつめりゃいいさ」
これもなつかしい曲だけど、色褪せない。かっこいいな。
ELLEGARDEN ジターバグ @ devilock3 Zepp Tokyo
読むのになれてきたのか、200ページぐらいの文庫だと、
一日(片道1時間の通勤時間)で読み終われるようになりました。
女性作家ばかり手に取ってしまうので、普段読まないジャンルも読みたいなと思いつつ。 う〜ん。
『すべて真夜中の恋人たち』川上未映子(講談社)
「しょせん何かからの引用じゃないか、自前のものなんて、何もないんじゃないのか」
「悲しいもうれしいも、自分のものじゃなくてどこかの誰かがいつか感じただけのもので、わたしたちはそれをなぞってるだけにすぎないのよ。」
「だって、人間の本質って、悪じゃない?」
桐野夏生さんとのトークイベントでそうおっしゃていた川上未映子さん。
そうか〜そうなのか〜〜?と思い出しながら読んだ。
校閲という仕事以外何も持たない「入江冬子」が、聖に出会い、三束さんに出会い恋をして、違う色へ変化していく人間ドラマ。
うつくしさやキャリアもすべて持っている女性と、そうでない(もしくは失っていく)女性の対比が毎回すごくて、くらくらします。
グロテスクなものを目の前に どん、と置かれたような。
「なんで入江くんにこんな話できたかっていうとね」
「それは、入江くんがもうわたしの人生の登場人物じゃないからなんだよ」
ほら、
ハッとして、ゾッとしない?
「楽なのが好きなんじゃないの?他人にはあんまりかかわらないで、自分だけで完結する方法っていうか。そういうのが好きなんでしょ。」
「要するに、我が身が可愛いのよ。」
はい。いまのわたしです。自分を可愛がりまくりです。
(後ろから鈍器で殴られたような気持ち!泣)
そんな「我が身が可愛い」コミュ障気味の冬子が、 三束さんという光にふれたくて距離を縮めていく様子は胸がしめつけられます。
すきな人の目をこんなにも近くでみつめることがこんなにも鮮やかでやさしく、体のいちばん奥のあたりからうまれかわるような思いのするものなのか
真夜中に目が覚めて、恋人(すきなひと)が隣で寝ているのをまじまじみつめる多幸感ったらないよね。あーあ。