『言葉を使いこなして人生を変える』はあちゅう(大和書房)
今年出た本だったんだ。
「いつか読みたい」リストに入れておいて寝かしていた本。
ツイッターで流れてきた感想に「この本をもっと早く読んでいたら、結果が変わっていたのかなあ」なんていう乙女なものがあって、えええ、なんなの、そんなこと書いてあるの、気になる!と、気付いたらぽちってました。わはは。
最近のわたし、学生みたい。答えをすぐ見つけたがる病を発症中。
「半径5メートルの野望」何回も読んだな。読むとぎゅぎゅんと元気と勇気が湧いてくる、即効性のある栄養剤のような本。
この本は、じんわりあたたかくなる本。前向きで努力家な女史を見習って、自分もこつこつ積み上げたくなる本。
1ヶ月もやり倒せば、たいていのことは飽きるのだけど、飽きなければそれは本当に自分が情熱をかけられるものだと思う。
誰も人生の肩代わりをしてくれないからこそ、結果が自分だけのものなんだよってことを、伝えても伝えても伝えきれない気がする。
「ありがとう」と「愛してる」は思ったときに言わないと、言えなくなってからでは遅い。言わなくて後悔するのは自分だから、その2つは、相手のためでなく、自分のために使う言葉。
「好きな言葉を使う人のことが好き」の章で、
食べ物を「うまい」という女の子を受け付けられなかった。
というお話があり、思うところが。
私は「w」を多用するひとが苦手。本当に、苦手。
なんなん。なんで、何にでもつけるん。
1年ほど前でしょうか。会った瞬間は好みだったのに、メールのやり取りをしているうちに、語尾に常についてくる「wwwwwww」に気持ち悪くなって来ちゃって、相手がグイグイくるなか共通の知り合いに泣きつくようにして、「もう、連絡したくない!」と縁を切ってもらったことがあった。
メールの文章ひとつで?!って言われそうだけど。メールの文章ひとつで冷めるトキメキだってある。むしろ、あった。
バイクの後ろに乗っけてもらって銀座を走った時、わあ、ドラマみたい!って思ったんですけれど。(安いドラマか…)
こんなにもインターネットが普及して、相手の言葉を目にする機会が増えて、すきだーーーー!!!!て思う文章に会える喜びもある反面、相手の言葉づかいにどんどん厳しくうるさくなっている自分がいる気がします。
うんめいなんてとりこぼしてしまいそうよ。
フジファブリック (Fujifabric) - 若者のすべて(Wakamono No Subete)
「運命」なんて便利なものでぼんやりさせて
『エッセンシャル思考』グレッグ・マキューン(かんき出版)
合言葉は「より少なく、しかしより良く」
「全部を手に入れよう、全部やろう」という考えを捨てる勇気を持ち、
「何に全力を注ごうか?」と考え・選び出す。
本質を生きる為に、必要な思考。それが、エッセンシャル思考。
最近のわたしの仕事っぷりがこの本でいうところの「非」エッセンシャル思考すぎて。読んで目が覚めました。
時間に追われていると、本質を見失うなあ と実感。
なにがどう「非」だったかというと、
「1.自分のやりたいことに近付ける業務(重要・期限間近)」
があったのにも関わらず、
頼まれた「2.ツール作成」も引き受け、
「 3.社内の課題」まで(土日で片付けたる!)なんて、負けず嫌いに火がつき、やりますって言ったんだけど、
「2」と「3」は正直、力を全然注げず、かつ、一番重要な「1」も間に合わなそうになり、休日出勤をキメる始末。
今までは、基本、定時退社の女だったのに。
これが、非エッセンシャル思考の良い例ですね!ぐすん。
エッセンシャル思考で考えると、「1に全力を注ぎたいです」で、「2」も「3」もやらなくて良かった。
「2」関しては特に、結果、他の方に修正して頂いたし、初めからやらないほうが迷惑かけなかったのでは。(ごめんなさい)
見栄っ張りなわたしが、そうさせたのかなあ。おおばかものめ・・・
「やる」って言ったのに、できなかったり・中途半端だったりが一番信頼を失いますよね。それだったら、できることを絞って・成果を最大にするほうがいい。
人生の中の仕事であって、仕事の中の人生ではないのだから、考える時間の余裕があるのって大切だと改めて感じました。
もちろん、人によってスキルや容量の違いもあると思うから、そのくらいこなせよ!って意見もあるとは思うんだけど。精進します。
「何かをとるために、何かを捨てる」
仕事だけじゃなくて、やりたいことがたくさんある反面、この本にあるように力が分散しているのかもしれない。これに関してはもっと考えていきたいな。
「やります!」の前に、一呼吸!
肝に銘じよう。
「本当に重要なのは何か?」
それ以外のことは、全部捨てていい。
『自分の仕事をつくる』西村佳哲(ちくま文庫)
こちらも金沢の美術館でみつけて。
今年、この方の本に出会えたのもわたしのとって大きなこと!
去年は山田ズーニーさんの本がそうだったなあ。共通点は「考えさせられる」点。
自己啓発本は特に、「答えって、こうじゃないですか?」って提示してくる・プレゼンしてくるようなことが多いのだけど、おふたりの本はそうじゃなくって。
ひとりひとり違うはずの「自分だけの意見」を引き出される気がするの。
「個性」なんて言いながら、自分を見失いそうになるほどの情報に溺れそうになっているなかで、「わたしの行きたいところって、本当にこっちだったっけ?」って、立ち止まって、考える時間をくれる。
本を読み進めながら感じるものがあったとして、それは一人ひとりの内側の「なにか」が反応して浮き上がってくる動き、あるいは共振だ。読み手にとって読書の効用とは、自分の中にある「なにか」に気づくこと、それろ出会うことにあると思う。
まさに、あとがきにあったこの一節の通りなんだろうな。
付箋だらけで、読み返したらまた付箋の位置が増えたり変わったりしそうなんだけど、今のわたしが読んでハッとしたところを、数節。
性善説的な響きが強すぎるかもしれないが、私たちは少しでもいい形で働き、いい仕事をしたいというエネルギーをもつ生き物ではないだろうか。
働くことそのものに、手応えと喜びと、自身の存在価値を見出したい生き物。
”私のデザインから生み出されるモノの量を考えると、いつも複雑な気持ちに駆られる。美にかかわる職業の中でも羨ましく思うのは、ダンサーと俳優だ。彼らは人々の心に記憶として刻みつけられるもの以外、何一つ残さないから"
仕事は自分と社会と関係づける重要なメディアである。日本のような企業社会では、「仕事」という資源はとくに会社に集まっている。私たちは野菜や食材を買うために、スーパーマーケットへ出かける。それと同じく、会社とは、「仕事」という商品の在庫をかかえたスーパーマーケットのようなものだと考えてみる。小さな会社は、商品(仕事)の品揃えが少ない。大きな会社は売り場面積も広く、商品(仕事)の品揃えや種類も豊富だ。
色や形は、プロダクトの魅力の一部分に過ぎない。そもそもデザインとは、コーヒーカップそのものではなくコーヒーを淹れて飲むことの幸せや、車そのものでなくドライビングの喜びを対象とする仕事だ。経験をデザインするということ。五感の豊かさは、人生の豊かさでもある。
後先を考えない人は「馬鹿」と称されやすい。しかし未来は、今この瞬間の累積以外の何ものでもない。最も退屈な馬鹿とは、いますぐに始めればいいことを、「明日から」「来年からは」と先送りにする人のことを指すのだと思う。いま現在の充実を積み重ねることが何よりも大事であるのに、私たちは様々なことを先送りにしやすい。今この瞬間の幸せよりも、将来の幸せの方に重きを置きやすい心性がある。
最近、仲が良い友人に、とあることを相談したところ、
「予想できる未来を生きるつまらん人間になるなよ」ってアドバイスを頂いて、いらっとしたんです。
ちょっと、図星だったのかもしれない。だから、ひっかかったのかもしれない。
いま、仕事で積み上げている知識があって、2ヶ月前にはできなかったことが、どんどんできるようになっていて、これこそ、未来に向けて、来年に向けて、累積させていっている気がするんだけど、人間関係もそうだと思って。
わたしとそのこは、出会ってまだ3年くらいのものだけど、
シェアハウスで出会い、一緒に住んでいた頃は毎日顔を合わせていて。今こそばらばらだけど、未だに週一くらいで会っているんです。もちろん、気が合うし信頼できるから(趣味はまったく別。共通点はラーメンとお酒が好きってことくらい)一緒にいる。
一緒に過ごしてきた時間が、内容が、彼女への信頼の積み重ねになっているんだと思う。
あれ、話がずれてきたかしら。
結局、積み重ねがない(少ない)未来に、わたしは賭けることができなかったんですよ。
っていう話。つまらんのかな。