『すべて真夜中の恋人たち』川上未映子(講談社)
「しょせん何かからの引用じゃないか、自前のものなんて、何もないんじゃないのか」
「悲しいもうれしいも、自分のものじゃなくてどこかの誰かがいつか感じただけのもので、わたしたちはそれをなぞってるだけにすぎないのよ。」
「だって、人間の本質って、悪じゃない?」
桐野夏生さんとのトークイベントでそうおっしゃていた川上未映子さん。
そうか〜そうなのか〜〜?と思い出しながら読んだ。
校閲という仕事以外何も持たない「入江冬子」が、聖に出会い、三束さんに出会い恋をして、違う色へ変化していく人間ドラマ。
うつくしさやキャリアもすべて持っている女性と、そうでない(もしくは失っていく)女性の対比が毎回すごくて、くらくらします。
グロテスクなものを目の前に どん、と置かれたような。
「なんで入江くんにこんな話できたかっていうとね」
「それは、入江くんがもうわたしの人生の登場人物じゃないからなんだよ」
ほら、
ハッとして、ゾッとしない?
「楽なのが好きなんじゃないの?他人にはあんまりかかわらないで、自分だけで完結する方法っていうか。そういうのが好きなんでしょ。」
「要するに、我が身が可愛いのよ。」
はい。いまのわたしです。自分を可愛がりまくりです。
(後ろから鈍器で殴られたような気持ち!泣)
そんな「我が身が可愛い」コミュ障気味の冬子が、 三束さんという光にふれたくて距離を縮めていく様子は胸がしめつけられます。
すきな人の目をこんなにも近くでみつめることがこんなにも鮮やかでやさしく、体のいちばん奥のあたりからうまれかわるような思いのするものなのか
真夜中に目が覚めて、恋人(すきなひと)が隣で寝ているのをまじまじみつめる多幸感ったらないよね。あーあ。