『博士の愛した数式』小川洋子(新潮社)
博士の記憶は、80分しか持たない。
博士と、家政婦の主人公とその息子「√(ルート)」との親愛の記録。
算数・数学が嫌いな学生さんにぜひ読んでもらいたいな。
博士はしばしば、自分の導き出した回答に満足しつつ、
「ああ、静かだ」とつぶやいた。
正解を得た時に感じるのは、喜びや解放ではなく、静けさなのだった。あるべきものがあるべき場所に収まり、一切手を加えたり、削ったりする余地などなく、昔からずっと変わらずそうであったかのような、そしてこれからも永遠にそうであり続ける確信に満ちた状態。
博士はそれを愛していた。
数式ひとつにも物語がある。
なにごとも愛があるひとから説明されると、自分にもその愛情が伝染する気がする。
『ピンヒールははかない』佐久間裕美子(幻冬舎)
一生懸命生きれば生きるほど、人生は簡単ではない、と実感する。でもせっかくだったら、フルスロットルでめいっぱい生きたい。40代に入ってつくづくそう実感することが増えた。時間は短い、やりたいことはいくらでもある、迷っている暇はないのだ。
だから自分の足を減速させるピンヒールははかない。
ニューヨーク在住のライター、佐久間裕美子さんのエッセイ。
彼女自身と、彼女のまわりにいる「トムボーイ」な女性たちから勇気をもらえる本。
「ひとりエキスパート」なんて友人に言われて、ぐぐぐ、と思う時もあったけど、この本にでてくる女性のように「ひとりで色んな場所に行くのが得意なの」って笑って言いたい。からりと。さらりと。
シングルの何が悪いんだろう!
可能性を狭めているのは、きっといつも自分自身だ。
「かくも短い人生に、諍い謝罪し傷心し責任を追及している時間などない。愛し合う為の時間しかない。それが例え一瞬にすぎなくとも。」
恐怖は、捨てようと覚悟さえ決めれば、大人になってからでも捨てることができるのだ。
ちょっと前に日本で目にして衝撃を受けた女性誌の特集のコピーを思い出した。
「幸せだって思われたい」
自分の心と付き合っていくだけでも大変なのに、その幸せが他人に紐付いているなんて、なんて恐ろしいことだろう。
身体的なことだろうと、出自のことだろうと、「自分にはこれがない」「自分のこういうところが好きじゃない」と思うのは、きっと人間という生き物であるかぎり、ついてまわることなんだろう。そして、そういう自分の苦手なところと折り合いをつけ、気持ちよく付き合っていけるようになる、というのは大人になるうえでの大きな課題なのだと思う。
ロマンチックということは、前向きということだ。彼女たちの姿を見て、またいつか自分にもそういうときがやってくるのかなあとぼんやり考えている。
こちらに住んで、3年。折々でデートをする男性はいたけど、お付き合いまではなんだか気持ちも乗らずいかず。ま、もちろん、わたしに魅力がないからじゃない?説も大いにある。
先に、言い訳のように、シングルだっていいじゃない!って書いたんだけど、
正直、時間が空けば空くほど、ふたりきりで関係を1から築くのが億劫になっていたんだよね。仲のよい友人もいるし、ひとりエキスパートですし。
でも、なんだかね、この本を読んだら、人生いろいろ、失敗上等!なんて気持ちになって、久々に飛び込んでみたくなっています。うずうず。
とかなんとか言ってみたけど、いまデートしている人にフラれたら笑ってやって下さい。えへ。
トムボーイな女性たちに敬意を込めて。
『ハヅキさんのこと』川上弘美(講談社)
新しい環境でまだ自分のペースを掴みきれておらず、疎かになっている感想文。
なんだか1年前と自分の気持ちも変わっていて、ついつい会った人と話し込んでしまうんだよね。たった1年だし、その期間も仲のいいひととは会っていたのにな。
「あなたのことをもっと知りたいんです」
まさに そんな気持ち。
それは、本を読んできたからも関係がある気がする。
本で、色々な考えに触れて自分に潜っていたら、前より許せることも多くなったし、むしろ生身のひとの自分と違う考えがもっと知りたくって、うずうずしている。
そんな 現状。
さて、気持ちを切り替えて。
数ページの短編集。
エッセイを書こうとしたら掌編小説になったもの、なんですね。
「虚と実のあわい」というのも納得。
見当はずれかもしれないけれど、「だめなものはだめ」だったり「体がね、しっとりしますよ」だったり、誰かのくちからぽろりとでたセリフから広がったのかしら。
一遍にひとつは必ず、手が止まるセリフがあったんですよね。
とても生き生きとしていて、耳に残る。
いつか町子が部屋を突然出ていってしまうことが、私は恐かったのだ。私は町子に執着しはじめていた。好き、というのとは違う。癖になる、という言葉がいちばん近いだろうか。町子は癖になる。町子のいない毎日を、もう私は想像できなくなっていた。
「だめなものはだめなんですね」しまいに、わたしもヤマシタさんと口をそろえて言っていた。ずいぶんと好きな詩人だったはずなのに、好きでもだめなものはだめなのかもしれないという気分に、支配されていた。
時間がたった、と唐突に思った。そう思ったとたん、またぶるっと震えがきて、今度こそ鼻の奥がつんとしかけたが、我慢した。駅に着いて電車から降り、周囲をみまわすと見慣れた景色があった。何でもなく生きて死んでゆく。確かめるようにつぶやいてから、改札への階段をのぼりはじめた。