『春の庭』柴崎友香(文藝春秋)
ドラマチックでも、個性的な登場人物が出てくるでもない。何かが変わるわけでもない。
ただただ淡々と過ぎる日々。
ああ、そうか。普段わたしは小説に多くを求めすぎていて、これこそが、わたしたちの日常を切り取った話なんじゃないのか。
なーんて。
表題作で芥川賞受賞作の「春の庭」と、3編の短編。
共通点は、主人公が地方から出てきて東京に「住んで」いること。
太郎はなにをするにも、「面倒」という気持ちが先に立つ質だった。好奇心は持っているのだが、その先にある幸福やおもしろみのあるできごとを無理して得るよりも、できるだけ「面倒」の少ない生活がよいと考えていた。
「東京は、次々建物が建って、新しいお店ができて、人に会うたびにあれがおもしろい、これができるって、なにもかも速いですよねー。違うか。よくなるのは早くて、悪くなるのは遅い」
怖い、という感情は経験の産物だ。知らないものは、たぶんほんとうはなにもこわくないのだ。
陸続きの県出身のみなさんからしたら「東京」はどんな場所なんだろう。
北海道出身のわたしからすると、住む前は、同じ国のはずなのに海を隔てた外国のような場所でした。(ま、実際に海を隔てているしね!)
今でも、アジアへ旅行へ行くのとなんら変わらない飛行機運賃や、10度近く差のある気温を確認しては、「遠いなあ」なんて思うこともあります。たった1時間半あればつくのにね。
関東の大学に進学したひとも就職したひとも半分以上北海道に帰って来ていたし、そもそもまず出たがらない。生まれた「市」だけじゃなくて「区」以外に住んだことない人もざら。今思うと不思議だけど、それがわたしの「普通」だったんです。
北海道と九州出身のひとは東京に対する意識が近いと聞いたことがあるけど、本当なのかしら。話してみたいな。
「うん、そうやな、気にならへんのじゃなくて、慣れた。そこになにがあるかわかってるのに、わりとすぐ、なれてもうた。自分が慣れるってわかってしまって、怖くなってる」
『美女は何でも知っている』林真理子(マガジンハウス)
林先生のカタカナの使い方が好きです。あと、口語。最後に「。」がないからなのかな。溢れ出る品の良さとかわいらしさ。
生活レベルが違いすぎておとぎ話のようなんだけど、洋服やダイエットや美容や恋愛の話題は全女性共通なんですね。ウン、ウン。わかる!と一気読みしてしまいました。
あー、美女になりたい!ふふふ。
「そうか、セレブ度というのは、露出と正比例するんだ」
銀座へ飲みに行ったら、ぜひお店を見渡して見て欲しい!
8割くらいの女性がノースリーブ着てるから。しかも、白ね。
どの季節でもそうだから、ベタって大事なんだなーと思います。間口の広さ。
たとえば合コンに行ったとする。男性が五人いた。五人ともブーだったら、たいていの女はさっさと帰る。
「だけど彼女は、せっかく合コンに来たんだから、絶対にモトをとってやる、この中でいちばんマシなのと、次のデイトの約束ぐらいはしておく、って人なんじゃないでしょうか」
好みがいなければさっさと帰るB子さん。
とりあえずひどい中でも「いちばん」を見つけるA子さん。
どっちが幸せになるかわからないけれども、ま、他から見てレベルが低いと思われても、ちゃんと美点を見つけられるのは確かに才能であろう。少なくとも、このタイプだと男の人が途絶えることはない。
わたしのまわりで、結婚してるひととしていないひとの差はまさにこれ。自分然りです。ため息しかでないなー。こわいなー。
「エイヤっと、いちばん身近な男に身をゆだねる。そんなに好きじゃなくてもいい。自分のことをうんと好きだと言ってくれる男にすべてを託す。一度人生を人まかせにする。その心地よさを試しにしてみるのよ」
人生を人まかせにするって考え持ったことなかったな。
自分がそんなに好きじゃなくて、自分のこと好きだと言ってくれるひとってちょっと気持ち悪いなって距離置いてしまいませんか。最近すぐ「きもちわるーい!」って言ってるからなー。世の中のみなさんはやっぱりそうじゃない方もいるのね。エイヤって飛び込む勇気も必要よね。あらためよう。
幸福というのも癖であるが、不幸というのも癖である。
うむ!
『私は存在が空気』中田永一(祥伝社)
サブカルに片足つっこんだ人はきっと通るであろう浅野いにおさんのイラストが目を引いて。わたしと友人の中では「浅野いにおさんの漫画が大好きなひとは、まわりに迷惑かけるタイプのメンヘラ(かまってちゃん)が多い」という偏見があります。真夜中にSNS投稿する系。我ながら、すごく失礼な偏見!
早見あかりさん主演の映画「百瀬、こっちを向いて。」の原作者さんなんですね。
サイトのつくりがかわいいな。あかりん、麗しい。
「サイコキネシス」「パイロキネシス」「瞬間移動」など、超能力を持って日常を過ごしている主人公達の短編集。
「私はB型、マイペースで自由奔放って言われるよ」
「人間を四種類の型に分類することで、すこしは相手を理解して気になれるんだ。天然という言葉もそう。星野泉という人間に、天然という枠組みをあたえることで、人間関係においての立ち位置が明確になる。星野泉という人間のままではどう接すればいいのかわからなくても、天然というキャラクターの扱いならテレビのバラエティ番組で演じられているから多少はみんなもわかっているんじゃないかな」
ひとは、なにかしら「理由」が欲しいんだろうな。
血液型にしても、星座にしても、占いを見ているとそう感じることがあります。
わからないって一番不安になるもんね。
調べていたら、乙一さんと同一人物なんですね。面白いなあ。
信者の方が多そうだから、それで別名も持ったのだったらもっと面白いのになって思ったら、そういうわけではないのかな。