『はじめて考えるときのように』文:野矢茂樹 絵:植田真(PHP文庫)
「考える」ってどうすること?
「考える」について、やさしい口調で噛み砕いて一緒に考えてくれる本。
はじめて考えるときのように―「わかる」ための哲学的道案内 (PHP文庫)
- 作者: 野矢茂樹,植田真
- 出版社/メーカー: PHP研究所
- 発売日: 2004/08/01
- メディア: 文庫
- 購入: 16人 クリック: 70回
- この商品を含むブログ (71件) を見る
わたしが思っていた「考える」は、
「問題解決に向けての作戦を練る」「あのこが喜んでくれそうなサプライズを探す」「今日の晩御飯のメニュー」とか、かな。
って、書きながら、これも考えるってことかなーなんて思っていたり。
「例をあげる」も「考える」かしら。出口がないから、違うか。
論理は考えないためにある
「ビジネスにおいては、論理的思考(ロジカルシンキング)が重要」なんて、よく聞くけれど、確かに、どういう風にやればいいのかあらかじめ方針が決まっていて、あとはその型にはめていくだけのことを考えているとは言えない。
「論理」は、答えを出す為の一本道。
「考える」っているのは、枝分かれしていて、道に迷って、何回も行き来していたら、突如、きらりと輝く答えに「ヘウレーカ!」と辿り着くものなのだろう。この本を読んで「考える」について「考えた」わたしの意見。
ことばがなければ可能性はない
ことばがなければ否定はない
わたしには、ないときがないから、ことばがない世界が想像できない。
日本語には「対等な関係における褒め言葉」が少ない。最近すごく面白かった事実。だからなんでも「かわいい〜!」って「ニッポンカワイイ」じゃないけれども、使ってしまうのですね。かわりに、と言ってはなんだけど、尊敬語や謙譲語は多い。お国柄かな。
(ざっと見たなかで、回答者さんの文面が好みだったので抜粋)
常識というのは、つねに、「どういうひとたちにとって」とか「どういう活動に関して」という限定がついたものになっている。
自分が常識と思っていたこと、そうして見えない枠として自分をしばっていたこと、それを共有しないひとが現れる。最初、それは非常識なひと、変なひとに思えるかもしれない。だけど、それが変だと感じることで、はじめて、自分があたりまえだと思っていたことを自覚するようになる。見えない枠が見えるようになる。
自分と常識を共有しないひとを否定するのって、早いし楽ちんだよね。
「嫉妬」を、見て見ぬふりしちゃうのも、そんな感じかなって。
結論、「相容れない」ってなる場合もあるのだろうけど、議論できるようになりたいなって。人間関係を築いていくには。諦められるより、諦めるより、そんなひとと一緒にいたいじゃない。
期限があるものに、そんな時間はかけていられない。
仕事だとそうなっちゃうのかな。自分の意見とあわないひとを、ばっさばっさ切っている上司を見てて、最近悲しくなっている。あ、これも否定か。
①問題そのものを問う ②論理を有効に使う ③ことばを鍛える ④頭の外へ ⑤話し合う
この5つが、上手に考えるためのヒント。
「考え方」なんて考えたことなかったよ。
あたまが硬くなってきたらまた読み返したい。哲学の入門書としてどうでしょう。