『自分をいかして生きる』西村佳哲(ちくま文庫)
どんなに成功しているように見える人でも、人生に「上がり」はない。植木さんのように多くの人から、その仕事を愛された人でも。あたり前の話だけれど、定年まで勤めあげたところでそこがあがりでもない。死ぬ瞬間まで「自分をどういかして生きてゆくか」という課題から、誰も降りることができない。
歳上の方の「将来の夢・目標」を聞くのが大好き。
もちろん歳下の方のも好きだけど、なんだか、そこにはわたしから見た希望がある。
社会にでて、仕事をもって、家庭をもって、あとは日々こなして過ごしていくだけなんて、わたしはさみしいと思ってしまう。
もちろん、その日々にもドラマはたくさんあると思うけど、いくつになったってできることが増えるのは嬉しいはず。
「自分をどういかして生きてゆくか」
『自分の仕事をつくる』の続編というか、補足というか。
西村さんの考えに触れられる本。
さらに言ってしまえば、わたしたちは美容師になりたいわけでも野球選手になりたいわけでもなくて、<自分>になりたい。より<自分>になれる仕事をさがしている。
働くことを通じて「これが私です」と示せるような、そんな媒体になる仕事を求めているんじゃないか。
なにがしたいということより、それを通じてどんな自分でいたいとか、どう在りたいかといったことの方が、本人の願いの中心に近いんじゃないかと思う。
心が眠っているような状態や、生きているんだか死んでいるんだかわからない状態ではなく、人が「より生きている」ようになることを助ける働きが「いい仕事」なんじゃないか。
まわりがそうだから、自分もしてしまうといったことは、仕事に限らず暮らしの中にも往々にしてある。そして「仕方がない」と言い訳を呟いたり、そんな自分に慣れる。人間は慣れる生き物だ。しかしやりたくもないことや望ましくない自分のあり方に慣れるのは、自分が駄目になってしまうことなんじゃないか。
胸がちくりと痛む。
先週、西村さんの本で知った「ルヴァン」に行ってきた。
天然酵母のパンをつくっているお店。
お隣のカフェでフレンチトーストを戴いて、カンパーニュを持ち帰ってきた。
気持ちが入っている食べ物って、少量でもお腹が膨れますよね。
しかも、なかなかお腹がすかない。不思議。
そうそう。
カフェで待っている時、なんだか不思議な安心感を感じたの。
後で気付いたんだけど、それは、調理している姿が後姿だったから。
「家庭をテーマにしているんです」って、お店の方がおっしゃっていて、
確かに、子どもの頃見ていたキッチンに立つ母の姿って後姿だったよな〜と納得。
あたたかい空気の流れているお店だった。「お店」なんて呼びたくないくらい。
あーあ。母の手料理が食べたくなっちゃった。