『わかりあえないことから』平田オリザ(講談社現代新書)
え、やだ。2週間も空いてしまったの。
溜めていいものは、お金くらいよ!わたし!
仕事スイッチを切りたくて敢えての感想文です。ずっと同じことを考えているのって精神面的にもよくないですよね。息抜き!大切!
金沢に行った際に、美術館で買った本の中の一冊。
本は本屋で買うものだと(ネットでも買っているけれど)思っていたけど、好みの本がたくさんありました。美術館あなどれないですね。
わかりあえないことから──コミュニケーション能力とは何か (講談社現代新書)
- 作者: 平田オリザ
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2012/10/18
- メディア: 新書
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コミュニケーション能力って、なんでしょう。
コミュニケーション能力が高いひとって、どんなひとでしょう。
私事ながら、前職の上司に「◯◯(わたし)は、ひとに強い」なんてよく言われていたんですけど、わたしはまったくそう思わなかったんですよね。
初対面のひととでも、雑談はできます。面接とかもしてきたし、それは社会にでて身につけたスキルじゃないかな。浅いコミュニケーションが取れるだけ。
わたしの思う「コミュニケーション能力」は、誰とでも「対話できる能力」だったの。
それが自分に深くできているとは思わなかった。
だから、上司に言われても「え?どこが?」だった。響かなかった。
感じていた違和感を説明してもらった感じ。すっきりしました。
「異文化理解能力」とは、おおよそ以下のようなイメージだろう。
異なる文化、異なる価値観を持った人に対しても、きちんと自分の主張を伝えることができる。文化的な背景の違う人の意見も、その背景(コンテクスト)を理解し、時間をかけて説得・納得し、妥協点を見いだすことができる。
日本企業の中で求められているもう一つの能力とは、「上司の意見を察して機敏に行動する」「会議の空気を読んで反対意見を言わない」「輪を乱さない」といった日本社会における従来型のコミュニケーション能力だ。
いま就職活動をしている学生たちは、あきらかに、このような矛盾した二つの能力を同時に要求されている。
しかも、何より始末に悪いのは、これを要求している側が、その矛盾に気がついていない点だ。ダブルバインドの典型例である。
「わたしは、わたしになりたい」
なんて言っていたわたくしですが、この「ダブルバインド」もひとつのキーワードなのかな、と。メモメモ。
「対話的な精神」とは、異なる価値観を持った人と出会うことで、自分の意見が変わっていくことを潔しとする態度のことである。あるいは、できることなら、異なる価値観を持った人と出会って議論を重ねたことで、自分の考えが変わっていくことに喜びさえも見出す態度だと言ってもいい。
異なる価値観と出くわしたときに、物怖じせず、卑屈にも尊大にもならず、粘り強く共有できる部分を見つけ出していくこと。
意見が変わることは恥ずかしいことではない。いや、そこには、新しい発見や出会いの喜びさえある。
そうそう。自分の価値観が変わっていくのは楽しいことですよね。
軽い例だと、にがいと思っていたビールがおいしくなった瞬間だって、そういうことじゃない?(対話ではないけども)
友人がおいしそうに毎朝コーヒーを飲んでいたから、まねしてみたら飲めるようになったり。これは、ここ数年のわたしの話だけど。
20代前半のときは「こうしなくちゃいけない」みたいのが、わたしは多くて。まじめちゃん。マニュアルが多い会社だったからってものあったかもしれない。ルールをきっちり守ることがわかりやすく正義だった。だから、あそびがある上司とかにいらいらしていたんですけど。
それも自分との距離ができた原因なのかなって、今は思うんです。
もっと意見の違いを楽しんで、選んでいけたらいいのかなって。時には、あるものから選ぶんじゃなくて作り出していくのかもしれない。
相手の意見もよく知らないで、「空気をよむ」なんて、なんかさみしいですよね。
うーむ!反省!
若者が使いがちな「かわいい」が、「対等な関係における褒め言葉」という日本語の欠落からくるものだっていうお話も面白かったなあ。
いざ行かむ 生きてまだ見ぬ 山を見む このさびしさに 君は耐ふるや