『ギンイロノウタ』村田沙耶香(新潮文庫)
表題作の「ギンイロノウタ」と「ひかりのあしおと」の二編。
ポップで可愛い表紙とは裏腹に、どこか狂った(もしくは、わたしが狂っていて彼女達が透明なままなのか)彼女たちの闇にのまれそうになる。
彼女たちの濃い闇に射す一筋の光が話の軸だ。
闇が濃すぎて、久しぶりに本を読んでいて「こわい」と思った。
主人公の毒に侵されて、こちらまで変になってしまいそう。
だけど、読むのを止めれない。最後まで見届けたくなる。
その闇は、殺人とかではなくひとの奥底にある心の闇。
わたしにも、あなたにもきっと少しはある。見ないようにしているだけで。
こんな強烈な作品を書いた村田さんは、どんな方なんだろう。
「作家と作品は別物である」とよく言われますが、実際の村田沙耶香さんは、恐らく作品に触れた読者が想像するであろう姿とはまったく違う、ということも記しておきたいと思います。
解説に、こんなふうにあったのだけど、
だったら尚更、なんでこういう作品を書こうと思ったのだろう。
自分にない要素だとしたら、もンのすごい観察眼ですよ。
ひとって色んなひとがいるじゃないですか。もう、そりゃあ色んな。
この前、「上司にだけいい顔して、後輩を裏で貶めているやつ」っているよね、なんて話をして。確かに、上にあがっていくひとって、何かしらの「贔屓」をされているわけだし、ひとは好かれたい生き物だから上は上でそんなやつだともし気付いてても「あいつはうまい」とかなんとか言っちゃって(うまい とか、使える とか、アレなんなんだろう。結局「自分に都合よく」が隠れているような。)、可愛がっちゃうんだよね。
「上にも下にも平等なひとのほうがかっこいい。」
それは、建前なのかな。
この本を読んでいるときに こんな話をしてて、思ったの。
「貶める」部分も、この本であるところの立派な「闇」だなって。
その闇を育ててしまうと、それは自分でもコントロールできないものになってしまうのかなって。
普段、生きてて「狂気」なんて触れたこと全然ないんだけど、
通勤中、たまたま電車が人身事故で止まった時に、駅員さんに怒鳴りだしたひとがいて、その時は「うわ、狂気的!」って思ったなあ。
人身事故なんて、駅員さんのせいじゃないし。
電車通勤を選んでいるひとが、たかが10分・20分遅れてどうにかなっちゃうようなことってあるのかな。
混雑で遅延した時も謝罪のアナウンスが流れたりして、たくさんのひとと関わるお仕事は大変だなっていつも思ってます。
ま、いつわたしがそっち側になっちゃうかもわからないし、「わたしは正しい」なんて、一番疑っていきたい!戒めとしておこう!
昨日 dutchさんのVJをみて、なんだろう、よい「違和感」を感じたので選択。
わかりやすいもののなかで、深く、濃く、印象に残った。