『チーズはどこへ消えた?』スペンサー・ジョンソン(扶桑社)
ネズミのスニッフとスカリー。
小人のヘムとホー。
二匹とふたりの「チーズ」探しの物語から、自分の行動を思う。
- 作者: スペンサージョンソン,Spencer Johnson,門田美鈴
- 出版社/メーカー: 扶桑社
- 発売日: 2000/11/27
- メディア: 単行本
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あまりにも有名な本。
存在は知っていたのですが、またまた読んだことがなく。
有名なものには、有名なだけの理由がある。
絵本のように、かるーく読めるのに、心に残る本。
もし恐怖がなかったら何をするだろう?
状況が変わること・未知への恐怖って、つきものですよね。
わたしは、年々良くなっていると思うけど、こわがりなほう。
最近気付いたのですが、
親がめちゃくちゃ心配性で、子どもの頃、何をするのにもほぼ必ず反対されていたっていうのも関係あるかもしれない。
愛情だったのだろうけど、なんでも「だめ」って言われるのって、自分を否定されているような気持ちになるでしょ。しかも、子どもの頃って自分の世界で親の占める割合って大きいから。むつかしい。
「もし、恐怖がなかったら何をするだろう?」
これ、つい最近思い浮かべて考えを変えたことがあったの。
わたしひとりでやっていた仕事に、増員があったんです。わたしよりも経験もスキルもあるひと。規模が大きくなるから、ひとりじゃ難しいだろうと。
正直な話、ひとりでやれるし!(安定の負けず嫌い)とも思ったし、反面、今までつくったものを自分よりもスキルの高いひとに見られるのがこわかった。
ひっどいなーって思われたり言われたらどうしよう、なんて、できないくせに思った。見栄っぱりちゃんめ。
「もし、恐怖がなかったら何をするだろう?」
この時の恐怖って、本っ当にダサいけど、「自分ができないと思われたくない」だったの。
じゃあ、それがなかったら?と切り替えて、
「これが今の自分のスキルなんだから、それを認めよう。このひとと働く数ヶ月でこのひとから多くのものを学ぼう。」
って、思ったら、
「あれ、このタイミングで学べる機会をもらえて、すごくラッキーじゃない?!」って前向きな考えに変わって自分でも驚いたんです。
良い風が吹いた!
結果、毎日スキルをがんがん盗んでいる気分です。
「知らない」と「知ってる」じゃ、天と地の差。たのしい。
自分のなかのこわがりちゃんが顔を覗かせたら、また何度でも思い出したい。
「もし、恐怖がなかったら何をするだろう?」
『幕が上がる』平田オリザ(講談社)
本は通勤中に読んでいるのですが、最近、家でキングダムを読んでいるから、書くのがおろそかに。
キングダム、面白いです。
武将という名のリーダーと組織。あの武将と会社のあのひとは同じタイプだなあ、なんて考えてみたりね。ぷぷぷ。
一応、世界史で結果は知っているじゃないですか。
だけど、その過程で、このままじゃそうならなくない?!というところが、気になって気になって!そりゃあ、夜な夜な読んじゃうよね。
あ、今回の感想文は「幕が上がる」でしたね。
平田オリザさんの「わかりあえないことから」を読んで、劇作家・演出家の面も観てみたく、映画をまず観ました。ももクロちゃんみたさもあり。
もう、大感動!大号泣!
今年、わたしは女の子の成長物語に弱いのだなあ、とよく感じるのですが、その ど真ん中だったんですよね。
最近、女性のことを「かわいい」「かわいい」っていつも言っていたら、知り合いの男性にまねされて馬鹿にされているわたしですが。
だって、女性って、良くも悪くも戦争ってそんなにないんですよ。
だからさ、相手を貶める必要なんてないじゃん。かわいいもんはかわいいって言いたいじゃん。だめなのか。
男性は、相手を貶めることがギャグになったりするんだなーと最近まわりを見ていて思うので、大変だなーと感じてます。訓練されているぶん、みんな返しもうまいけれど。
映画は、ぎゅぎゅっとコンパクトにまとめられている感じ。
映画から本を読んでも、ももクロのみなさんに置き換わるからハマリ役だったんでしょう。
一生懸命やるだけじゃダメだ。一生懸命やっている自分たちに酔いしれているだけじゃダメだ。
拍手をもらうだけでもダメだ。一生懸命やれば、親や友達は拍手をしてくれる。でも今回は違った。拍手の質が違うなんて、それが手に取るように分かるなんて、いままでは思ってもいなかった。
大人になるということは、人生のさまざまな不条理を、どうにかして受け入れる覚悟をすることです。
「熊本より東京は広い。東京より日本は広い。日本より・・・・・、日本より頭の中の方が広いでしょう」
私たちは、舞台の上でなら、どこまででも行ける。どこまででも行ける切符をもっている。私たちの頭の中は、銀河と同じ大きさだ。
でも、私たちは、それでもやっぱり、宇宙の端にはたどり着けない。私たちは、どこまででも行けるけど、宇宙の端にはたどり着けない。
どこまでも行けるから、だから私たちは不安なんだ。その不安だけが現実だ。誰か、他人が作ったちっぽけな「現実」なんて、私たちの現実じゃない。
「日本より頭の中の方が広いでしょう」
ハッとしますよね。
頭のなかでは、どこまででも行けるし、なんでもできる。
その通りなのに、なんだかそんなこと忘れていて、これが大人になるってことなのかなあ、と寂しくもなったり。
夢だけど、夢じゃなかった
高校生より、あの頃を懐かしがれる私たち向けなのかもしれない。
おすすめです。
『はじめて考えるときのように』文:野矢茂樹 絵:植田真(PHP文庫)
「考える」ってどうすること?
「考える」について、やさしい口調で噛み砕いて一緒に考えてくれる本。
はじめて考えるときのように―「わかる」ための哲学的道案内 (PHP文庫)
- 作者: 野矢茂樹,植田真
- 出版社/メーカー: PHP研究所
- 発売日: 2004/08/01
- メディア: 文庫
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わたしが思っていた「考える」は、
「問題解決に向けての作戦を練る」「あのこが喜んでくれそうなサプライズを探す」「今日の晩御飯のメニュー」とか、かな。
って、書きながら、これも考えるってことかなーなんて思っていたり。
「例をあげる」も「考える」かしら。出口がないから、違うか。
論理は考えないためにある
「ビジネスにおいては、論理的思考(ロジカルシンキング)が重要」なんて、よく聞くけれど、確かに、どういう風にやればいいのかあらかじめ方針が決まっていて、あとはその型にはめていくだけのことを考えているとは言えない。
「論理」は、答えを出す為の一本道。
「考える」っているのは、枝分かれしていて、道に迷って、何回も行き来していたら、突如、きらりと輝く答えに「ヘウレーカ!」と辿り着くものなのだろう。この本を読んで「考える」について「考えた」わたしの意見。
ことばがなければ可能性はない
ことばがなければ否定はない
わたしには、ないときがないから、ことばがない世界が想像できない。
日本語には「対等な関係における褒め言葉」が少ない。最近すごく面白かった事実。だからなんでも「かわいい〜!」って「ニッポンカワイイ」じゃないけれども、使ってしまうのですね。かわりに、と言ってはなんだけど、尊敬語や謙譲語は多い。お国柄かな。
(ざっと見たなかで、回答者さんの文面が好みだったので抜粋)
常識というのは、つねに、「どういうひとたちにとって」とか「どういう活動に関して」という限定がついたものになっている。
自分が常識と思っていたこと、そうして見えない枠として自分をしばっていたこと、それを共有しないひとが現れる。最初、それは非常識なひと、変なひとに思えるかもしれない。だけど、それが変だと感じることで、はじめて、自分があたりまえだと思っていたことを自覚するようになる。見えない枠が見えるようになる。
自分と常識を共有しないひとを否定するのって、早いし楽ちんだよね。
「嫉妬」を、見て見ぬふりしちゃうのも、そんな感じかなって。
結論、「相容れない」ってなる場合もあるのだろうけど、議論できるようになりたいなって。人間関係を築いていくには。諦められるより、諦めるより、そんなひとと一緒にいたいじゃない。
期限があるものに、そんな時間はかけていられない。
仕事だとそうなっちゃうのかな。自分の意見とあわないひとを、ばっさばっさ切っている上司を見てて、最近悲しくなっている。あ、これも否定か。
①問題そのものを問う ②論理を有効に使う ③ことばを鍛える ④頭の外へ ⑤話し合う
この5つが、上手に考えるためのヒント。
「考え方」なんて考えたことなかったよ。
あたまが硬くなってきたらまた読み返したい。哲学の入門書としてどうでしょう。