『ショートショートの宝箱』(光文社文庫)
30名の作者による30編のショートショート。
1編1編短いから、普段読書する習慣がない方にもおすすめ。
わたしが物語を読み続ける理由のひとつとして「気分転換」があるんだけど、ショートショートはサクサクと別の世界に飛べるからいいですね。
30編あったなかで、わたしが一番ハッとしたのは、
工藤玲音さんの「冬のメリーゴーランド」でした。
のりもの券は一枚百円で、それが三枚あればメリーゴーランドに乗れる。財布から小銭を出しながらそれはちょうどわたしが通勤するための片道分の交通費だと気づく。そうか。わたしは毎日くるみ割り人形を聴いて三百円で同じ場所をぐるぐる回っている。それって、おおきなメリーゴーランドに乗っているのと同じじゃないか。これは大発見だ。思わず笑みを浮かべながら整理券と小銭を入れて軽やかにバスを降りる。
わたしは小さな頃の夢を知らないうちに叶えていた。わたしは毎日”とがったくつ”を履いておおきなメリーゴーランドの中にいるおひめさまだ。すこし荒いかも知れないし、優しさや強さはまだまだ足りないかもしれないけれど。
目線ひとつで世界はがらりと変わる。
毎日の通勤電車が「メリーゴーランド」に。
毎日履いているパンプスが「おひめさまのくつ」に。
楽しまなくっちゃ楽しくないぜ!なのだろうな。
条件反射でわくわくするPV。パブロフの犬🐶
音楽って、一瞬で「あの頃」に引き戻されるから不思議ですよね。
とけない魔法なんてなかったな なんて思っていたけれど、とけていないのかしら。
この本、ブクマ!という本専用のフリマアプリで譲っていただいたんですが、
譲って頂いた方が、びっくりするくらい親切丁寧な方で!
「発送しました」「受け取りました」ボタンだけで終わる方もたくさんいるのですが(無駄がなくてそれはそれでよいと思うんですが)、
たまたま入院されるタイミングに購入手続きをしてしまったようで、それはなんてバッドタイミングだ!と思い「大変な時にすみません、キャンセルさせて頂いたほうがいいですね」というような返信をしたところ「お待たせして申し訳ないのですが、退院してから送ります」とすごく恐縮したメッセージを頂いたうえに、実際届いた包みには「お待ち頂いたお礼です」と他にもう一冊ショートショートの本を入れて下さっていたんです…!!!!
もう、びっくり。
自分が入院するタイミングで(内容は伺っていないのですが)、見ず知らずのタイミングが悪い他人に、こんなに親切にできます?!
「ちょっと大変なんでキャンセル願います」でも「そうだよね」ってタイミングだったと思う。やり取りが終わるのが悲しく思えたくらい感動しちゃったよ。
ちょっとのことでも、プラスでサプライズができるひとにわたしもなりたいな。
絶対、この方には今後いいことしかない。わたしはそう思ってる。
『センセイの鞄』川上弘美(文春文庫)
お得意のこちらで知って。
ほんっと、過去の名作の類をぜんぜん知らないので、誰かのおすすめ頼りばかり。
「日本語って、うつくしいなあ」「きれいな響きだな」と読んでいて何度も感じた。うれしい出会いでした。
センセイもツキコさんも、素敵な大人だったなあ。
お付き合いするひととは、トントントンっていってきたものだけど、いつの間にか手放せないひとになっているっていうのもいいなあ。
しずしずと進む恋愛、憧れます。
一人だった。一人でバスに乗り、一人で街中を歩き、一人で買い物をし、一人で飲酒した。センセイと一緒に居るときも、以前一人でことごとを行っていたときと、心もちに変わりはない。それならばわざわざセンセイと一緒でなくともいいようなものだが、一緒であることの方がまっとうな感じだった。まっとう、というのも妙か。買った本の帯を取るよりも取らずに置いておきたいのと同じ、とでもいえばいいのだろうか。帯にたとえられたと知ったなら、センセイは怒るかもしれない。
失敗した。大人は、人を困惑させる言葉を口にしてはいけない。次の朝に笑ってあいさつしあえなくなるような言葉を、平気で口にしてはいけない。
「育てるから、育つんだよ」と、そういえば、亡くなった大叔母が生前にしばしば言っていた。
大事な恋愛ならば、植木と同様、追肥やら雪吊りやらして、手をつくすことが肝腎。そうでない恋愛ならば、適当に手を抜いて立ち枯れさせることが安心。
大叔母は、語呂あわせのように、そんなことを言い言いしていた。
センセイみたいな、恋愛が絡まない大人の飲みともだちがほしいなって思いながら読み始め、最後はツキコさんと同じようにセンセイに恋をしていた。
わたしたちは、いろいろなところでデートをした。デートという言葉は、センセイの好んだところの言葉だ。
「デートいたしましょう」とセンセイは言った。近くに住んでいるのに、必ずデートする場所の最寄りの駅で待ち合わせる。その駅までは別々である。待ち合わせの場所に行く途中の電車の中でばったり会ったりすると、おやおや、ツキコさんこれはひょんなところで、などとセンセイはつぶやいた。
「デートいたしましょう」なんて、言われてみたいな。
地元も離れているので、センセイとツキコさんのような巡り合わせはなかなか難しいなと思いつつ。思い出した思い出。
高校の卒業式で、挨拶に言ったら「卒業おめでとう」ってハグしてくれた先生がいたんですよね。途中で辞めた放送局の顧問の先生。いつも、アナウンス原稿を「面白いね」って褒めてくれたの。一度、ラジオドラマの話も作らせてくれて、そのあと大会用のドラマも書かないかって言ってくれたのに、辞めてしまった。
先生にしたら、当たり前の普通のことだったのかもしれないけど、やっぱり他人から認められるって、わたしにとっては特別なことだったから、今でも色々覚えている。
そんな先生が、ハグしてくれたとき「わー!」って、「わーー!!」って、思ったの。
年上すぎて、恋とかそんな感情は思いつきもしなかったけど、ああ、卒業するんだなって、その瞬間にやっと体に染み込んだというか。よくしてくれたのに、辞めた負い目も感じていたのかな。
その思い出は今でもきれいに発色しているから、わたしにとって、なにかひとつのポイントなんでしょうね。
今も、フェイスブックに映画評をよく書いてらして、素敵な先生です。
センセイとは違うけど、わたしの先生。
お元気かしら。
『ボクたちはみんな大人になれなかった』燃え殻(新潮社)
こんなラブレター、初めて読んだ。
彼女はボクにとって、友達以上彼女以上の関係、唯一自分よりも好きになった、信仰に近い存在だった。ボクが一番影響を受けた人は、戦国武将でも芸能人でもアーティストでもなく、中肉中背で三白眼でアトピーのある愛しいブスだった。
もう4〜5年前になるんだろうか。
当時、燃え殻さんは、わたしにとって「東京のひと」の代名詞で、画面越しの世界のボンヤリ優しい光のような存在でした。
大体深夜にぽつりぽつりとツイートがあって、仕事をどうにか終わらせてベッドに潜り込みながら「毎日こんな時間まで働いているひともいるんだなあ。あー、明日もがんばろー」って、ツイートをみていた。
明るすぎると目が眩む。暗すぎるとこわくなる。ボンヤリ、お腹の底があたたかくなる優しいあかり。
去年、「やっと調子が出てきた」って、冗談交じりにおっしゃってましたけど、こんな本を読んじゃったら、「もっと調子出していって下さい」というのがファンの本音です。なんて。
(「東京」の代名詞だった 燃え殻さんが初めてみれる!って、ドキドキしながらいったイベント。みなさん個性がばらばらで面白かったなあ。100冊読み出した、きっかけのひとつ。)
「キミの身体にもたくさんの成仏していない言葉がつまっているんだよ、きっと」
「俺には何もないよ」ボクのことを一番信じていなかったのは、ボクだったのかもしれない。ボクの鼓動と雨音と彼女の呼吸が重なる。「大丈夫」と彼女が言った。
「キミは大丈夫だよ、おもしろいもん」
本屋さんで、箔押しのタイトルをみつけたとき「宝探しみたい」って思った。
きらり、きれい。
スカート / 静かな夜がいい【OFFICIAL MUSIC VIDEO】
本にでてくる音楽と迷ったけど、わたしのBGMはこの曲でした。
読んでいて、映画みたいに音楽が鳴っていた。
しかし、古賀史健さんが帯によせていた「かさぶたの文学」とは、言い得て妙ですね。
忘れたふりをしていたあのころの傷が、じくじくと痛む。
不器用だった(今も絶賛不器用だけど)恋愛もだけど、
「小沢健二はわたしの王子様です」で、血が吹き出ましたよ。「きゃーー!」つって。
90年代、文通、渋谷系、Olive、Hot-Dog PRESS、ケイタ・マルヤマ、アニエスベー
どれかひとつでも、チクっと来たなら、楽しめるんじゃないかな。
(500)日のサマー、モテキ にもハマっていたなら、なおさら。
こうしている間にも、刻々と過去に仕上がっていく今日。達観した彼女の今日も、まだアップダウンを繰り返しているボクの今日も、先に続いているのは、未来であって、過去じゃない。どんな無様でも「大人の階段」は上にしか登れない。その踊り場でぼんやりしているつもりだったボクも、手すりの間から下を覗いたら、ずいぶん高い場所まできていて、下の方は霞んで見えなかった。
その頃のぼくらと言ったら こんな調子だった
小沢健二 featuring スチャダラパー - 今夜はブギー・バック(nice vocal)